あいノート

カリフォルニア在住ぼっち主婦の気ままなブログです。

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?⑥

↓前回までのお話はこちら↓

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?① - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?② - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?③ - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?④ - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?⑤ - あいノート

 

手術後の本番はこれからだ……!!!

 

リカバリールームで目覚めたことを確認された後、わたしはガラガラとお部屋まで移動されました。

お部屋は2人部屋で、日本人の方が同じ部屋にいたようです。(全然話すことはなかったんですが、たぶん保険の話を誰かとしていて、それが日本語だった)

部屋に着いたあとも本当に眠たくて、すぐ眠ってしまった気がします。

この時の写真を父が撮っていたんですが、今見るとなかなかにわたしが脱力していて麻酔の効き目がよく分かりますね。

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とにかくその時はもう眠たくて仕方なかったし、麻酔のおかげで傷の痛みも何も感じませんでした。

わたしの手術があったのが結構朝早くで、終わったのが昼近くだったと思うのでその後寝てから数時間は家族がそばにいてくれました。

それでも面会時間が終わると家族は帰り、わたしはひとり(実際には同室の人とふたり笑)部屋でぼーっとしていました。

最初こそは麻酔がまだ効いていたので痛みも何も感じませんでしたが、時間が経ってくるとどんどんと傷口が痛みはじめました。

その痛みといったら!!!

もう初めて経験する痛みでした。

「痛みで顔が歪むというのはこういうことか」と頭のどこかで冷静な自分には笑ってしまいましたが、笑った瞬間めちゃくちゃ衝撃が走ります。

「!?!?」

そう、笑うということは体が動くということ。

この時わたしは笑うというちょっとした衝撃さえも強烈な痛みを起こすようになっていたのです。

 

夜中になると痛みは最高潮になり、もうじっとしていても痛い。

他のことを考えて気を紛らわせようとするも、そんなことできないくらい痛みが襲ってきます。

「痛くなったらナースコール押してください」とは言われてたんですが、この時わたしは何を思ったのか「きっと看護師さんみんな忙しいのに呼んだら迷惑かもしれない……」と意味のわからない気遣いを発揮し、結局1時間くらい耐えていました。(後にこのことを夫に話したらめちゃくちゃ怒られた笑)

1時間ほど耐えてはいたものの、あまりの痛さに流石に耐えられなくなりナースコールを押しました。

痛み止めをいただいたものの、痛みはちょっと軽くなっただけでやはり痛いという感じは少しありました。

 

結局、夜もあまり眠れないまま、朝の6時ごろに担当の先生登場。

おっとりしたおじさん先生、めちゃくちゃ朝早いな!?と驚きつつ、手術の傷口を確認されます。って……

え、ちょっと待って先生、なんかめちゃくちゃ傷口押してませんか!?!?

いたたたたたたたたた!!!!!!

めっちゃ痛いんですけどなんでそんなに押すんですか!?!?!?!?

…多分触診でもそんなに強く押してないと思うんですけど、そんな少しの衝撃にも耐えられない体。

なんて弱ってしまったんだ……泣

手術後すぐの食事は麻酔がまだ抜けていなかったため流動食でしたが、少しずつ固形のものが増えはじめました。

食べるのだって一苦労で、終始「あれ…?食事ってこんな重労働だったっけ…??」と思いながら食べつつ。

それでもまだこれはほんの序の口なんだと気づくのはその食事の後なのでした……

 

続くっ!

 

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?⑤

↓前回までのお話はこちら↓

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?① - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?② - あいノート

ハワイで出産!と、思いきや手術!?③ - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?④ - あいノート

 

ついに手術の日。

 

手術に合わせてハワイまで来てくれた両親も合流し、ついに病院へ乗り込みます。

手術室に入る前にいろいろ書類にサインし、手術着に着替える部屋に移動して手術室が用意できるのを待つことに。

わたしはこの時でさえ全然実感がなく、「この後きっとガラガラ運ばれるのか〜。医療ドラマみたいに手術室は緊迫した雰囲気なのかな〜」などと呑気に考えていたんですが、夫や両親がいつになく心配そうにしていてさらに冷静になりました笑

こういう時に周りが心配しているのを見ると落ち着くのは一体なぜなんでしょうね〜。

 

手術の準備が整い、ついに手術室に行くことに。

心配そうにわたしを見送る夫と両親に手を振ってから、ベッドに乗ったままガラガラと手術室へと運ばれました。

退院してから知ったんですが、その病院はハワイで1番大きな病院だったらしく手術室の数もかなり多かったです。

手術室なんて普段見ることない場所を見ることができて、わたしもつい興味の方が打ち勝ち手術室までの道のりをキョロキョロと眺めまわしてしまいました笑

 

ついに手術室に着くと、まず見えたのはドラマ通りの感じの手術室。

ただドラマ通りではなかったのがまさかのバックグラウンドミュージックでした。

手術室にかかっていたのは予想外のノリノリの曲。

え?ここ手術室だよね???

実際の手術室ってこんなノリノリな曲聴きながら手術してんのーーーー!?!?

思いもよらない現実にめちゃくちゃびっくりしました!!笑

しかもなんか麻酔科の先生めっちゃ音楽に合わせてノリ良く手術室に入ってきたし!!

しかも先生なんかタトゥーすごくないーーー!?(ポリネシアの文化でタトゥーを入れる文化があります)

いろいろと驚いていると、ベッドから手術台に自分でうつるよう指示され移動。

麻酔科の先生が「これから麻酔を吸ってもらうんだけど、2回か3回呼吸したら麻酔が効いて眠るから」と説明されたので「え〜本当かな〜?」と何故か心で無駄に疑い、渡された酸素マスクのようなもので2、3回呼吸すると…___

 

一瞬で手術終わってました笑

いや、もちろん一瞬ではなかったんですが、わたしの体感的には本当に一瞬のようでした。

どうやら本当に2、3回の呼吸で落ちたらしいです。

麻酔すごーーーと思いつつ、目が覚めてもまだ麻酔の効き目があるのかぼーっとしていました。

手術が終わった後はリカバリールームというところに目が覚めるまでいるのですが、そこで夫とご対面。

多分かなりわたしは麻酔の効き目でぼーっとしていたので、今まで見たこともないような心配そうな様子の夫を見て「わたしは今そんなに心配されるような状態に見えてるのか」と感じたのを覚えています。

実際、目が覚めてすぐはまだ麻酔が抜け切っていないので体も全然動かせず、副作用で何回か吐きました。

ただ、この時良かったのは麻酔のおかげでお腹の傷の痛みを全く感じなかったこと。

麻酔が切れてからが本番だと、わたしはこの数時間後に知ることになるのでした……

 

つづく!

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?④

前回からだいぶ時間が経ってしまいました笑

マイペースなだけなので大目に見て〜笑

 

↓前回までのお話はこちら↓

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?① - あいノート

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?② - あいノート

ハワイで出産!と、思いきや手術!?③ - あいノート

 

謎のお腹の痛みがなくなってハッピー!と思いきや…

 

幸せだったのはこの一日だけで、つわりでの吐き気が徐々にわたしを現実に突き戻しました。

妊婦さんによってつわりの症状は様々だと思うんですが、わたしの場合は食べづわりと吐きづわりが毎日交互に来ることが多かったです。

なので朝起きたらまず、自分は今日は一体なにづわりなのかを判断しなければいけません。

でもほぼ高確率で食べても吐くので、だんだん「吐いても美味しいものはなにか?」を探すようになりました笑

(ちなみに自分的に吐いてもおいしかった食べ物はダントツでスムージーだった)

 

この時、他の妊婦さんもよく経験する味覚の変化がわたしにも起こっていました。

炊飯器のご飯が炊ける匂いがダメだったり、脂っこいものが急に食べたくなったりというあれです。

わたしの場合は、一時期夫が使っていたボディーソープの匂いが嫌だったり、酸っぱいものしか食べたくなかったり(グレープフルーツと梅干しはこの時わたしの大親友だった笑)していたんですが、特に自分的に一番ショックだったのが大好物のポケとナスを食べられなくなったこと。

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いつも食べていたバイト先のレストランのポケ。

一時期、毎週のようにポケを食べていたわたしをみていた夫はこの時思わず

「まじか…つわりってすげー……」

と思ったらしいです。

わたしもこれには本当に驚きました。

あんなに食べたいと思っていたのに、口に入れた瞬間美味しくない!と感じるんです。

食べたいのに食べられない…

初めてのつわりは、人間の体の変化の不思議を余すところなく教えてくれるものとなりました。

本当にあの時は毎日食べたいものがコロコロ変わって材料を調達してきてくれた夫はとっても大変だったと思います。

ある時はワイキキの方まで行って色々日本食を調達してきてくれたこともありました。

夫の支えがなければつわりを乗り越えることはできなかったと思うので、心から感謝しています。

 

大変だったつわりも手術の日が近づくにつれ、少しずつ楽になっていきました。

つわりはもう耐えるしかない!

安定期に入ったら楽になるから!

とは聞いていたんですが、この安定期の楽なこと!

今までの気持ち悪さが嘘のようでびっくりしたのと同時に、やっと食べられる嬉しさで食欲が増えたのは言うまでもありません笑

妊婦さんによっては赤ちゃんが生まれるまでつわりが続く人もいるらしいので、それを思うとラッキーだったのかもしれません。

(妊娠後期は後期でまた気持ち悪くなりやすかったけど)

 

いま思うと、つわりは本当に自分ではコントロールができないものだと感じます。

吐きたくなるタイミングは毎日違うし、それこそ食べられるものも毎日のように変わる。

この時期に働いている妊婦さんたちは本当にすごいと思います。

わたしはずっと吐いてしまうのでこの時期には働けませんでした。(もともとバイトが合格していたので研修期間でしたが、あまりにもつわりで吐いてしまうため続けられませんでした)

普通の様子でいても、なかには大変でも気丈に振る舞っている妊婦さんもいると思います。

いつか同じような経験をしている人に出会ったら優しく手を差し伸べられる人になりたい。

妊婦さんは毎日頑張ってるということを理解してあげられるようになりたい。

この時に強く思いました。

 

そしてついに手術の日がやってくるのでした……

 

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?③

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ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?① - あいノート

 

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?② - あいノート

 

 

わたしが休学したくなかった理由、それはその学期にしか取ることができない必須のクラスがあったからでした。

わたしが通っていた大学はまあよくある総合大学だったんですが、わたしの専攻の学部はとっても生徒数が少なかったため、決まった時期にしか取れないクラスがいくつかありました。

そしてその学期にとっていた専攻の必須クラスは、なんとこの時期から2年に一度しかクラスを開かないという訳の分からない変更が決まりました。

要するに、この時期を逃せば次に授業が受けられるのが2年後!!(…信じられないだろう?本当の話なんだぜ……)

この時わたしは順調にいけばあと2学期で卒業することができる予定でした。

それを!2年も伸ばすって!!

そんなことがあれば大学院を目指している夫の入学時期を考え直さなきゃいけないし(この時すでに夫は行きたい大学院に目星をつけて大学を卒業してすぐに入学できるよう準備を進めていました)、授業料と家賃だけが無駄にかかってしまう…

というわけで、この状況を夫に説明しどうするか相談しました。

 

いまこの学期を逃してしまったら卒業時期が伸びてしまうかもしれない。

でも、体調が悪すぎて授業を受けて宿題を毎日のようにできる自信がない。

 

夫は話を聞いてくれたあといくつかの提案をしてくれました。

一つはクラスの先生やアカデミックアドバイザーに相談すること。

わたしの大学ではアカデミックアドバイザーという、どの時期にこのクラスを取るのがいいかプランニングしてくれる職員がどの専攻ごとにもいました。

そのアカデミックアドバイザーにいま状況を説明してどうにかして卒業の時期を調整できないか相談してみることに。

ただ、わたしの専攻のアカデミックアドバイザーは何故だかコロコロ変わることが多く、この時もまた新しいアカデミックアドバイザーになっていたのでわたしの今までのクラスの進行具合と今の状況を全部説明しなければいけませんでした。

直接会いに行きたい気持ちは山々だったものの、相変わらずの腹痛があったためメールでのやりとりになりましたが、新しいアドバイザーさんはとっても親身に助けてくださり大変ありがたかったです。

そして、問題のこの学期にしか取れないクラスの先生にもメールをして「できれば2年後にクラスを取るのではなく、卒業に間に合うようにどんな形でもいいのでこのクラスをとらせて欲しい」と交渉しました。

その結果、先生も理解を示してくださり卒業までにそのクラスで出すレポートを全部出してくれたらOKということにしてくれました。

もう、先生方のこのありがたい対応には感謝しかありませんでした。

この時点でお腹も痛すぎて気が弱っていたため、めちゃくちゃほっとしたのを覚えています。

休学の手続き諸々を夫に代理でしてもらい、今後のクラスの予定もアドバイザーさんと協議した結果、もともと予定していた卒業時期から2学期後には卒業できる見込みになりました。

夫も大学院の入学時期を伸ばす代わりにインターンシップを入れることになり、同じ時期に卒業できるように調整できることに。

よかった、よかった。

 

とりあえずクラスのことはクリア、あとはこのお腹の痛みがどうにかなれば…と思い、毎日のように「お腹の痛みに耐えられますように」とお祈りする日々でした。

そんなある日、なんと突然お腹の痛みが全くなくなるという奇跡が…!!

昨日までのお腹の痛みが嘘のようになくなり、その日は超ハイテンションで1日を過ごしました。

相変わらずつわりで吐きまくっていましたが、お腹の痛みがなくなって心配事がたったの吐くことだけになったわたしは、この時本当にご機嫌でした。

人間、痛みを経験し続けると「辛い」の感じ方が随分変わるんだなあと今は思います笑

とにかく今でもこの当時あった「謎のお腹の激痛」は人生の中で2番目に痛かった経験になりました。

(栄えある(?)一位は手術後の傷の痛み)

 

しかし、お腹の痛みが無くなればもうハッピー!なんでも乗り越えられる⭐︎

…なんてことにはならないのでした。

 

つづく…

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?②

↓前回のお話はこちら↓

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?① - あいノート

 

子供が生まれる前に手術をしなければいけない。

 

まさかの展開に思考回路が止まったわたしでしたが、それと同時にあんまり実感がなかったのをよく覚えています。(だって本当にお医者さんの先生方めっちゃあっさり言うんだもの……)

でも嚢胞のことについては実感なかったくせに、手術にかかるお金のことはしっかり考えて「え、やばい、どうしよ…」と、不安になっていたわたし。

なんせ、開腹手術です。

医療費が高くて借金まみれになる人がアメリカにいると聞いたことがあるのに、一体わたしの手術にはどれくらいの費用がかかってしまうんだろうか……

この前にERにも行っていたわたしたち夫婦にとって(詳しくは前回のお話参照)この手術は本当に厳しいものでした。

 

家に帰って早速わたしの両親と夫の両親に相談をしました。

わたしの両親は「日本の方が手術代安いし、日本の医療はレベルが高いから日本で手術した方がいいんじゃないか?」という意見。

ところが逆に夫のご両親は「アメリカの方が医療のレベルは間違いなく高いし、そのままハワイで手術していいんじゃないか?」という意見でした。

まさかのどちらも逆の意見!!😭

これは自分たちでも調べるしかないと思い、めちゃくちゃぐぐってどちらがいいか調べました。

調べたところ分かったのは、

 

アメリカの医療は日本より高い(アメリカには日本のような国民健康保険がないため、保険外の手術も多く、その分医師の経験値が高いらしい)

・手術費はやっぱりアメリカが高い

・でもわたしが受ける手術の手術費は思っていたよりも安い(といってもだいたい15万円)

・日本の健康保険には海外医療費制度というものがあるらしい

 

ということでした。

調べ終えて考え、夫婦でも話し合った結果、わたしはハワイで手術を受けることにしました。

わたしがハワイで手術を受けようと決めた理由は主にふたつ。

1つは、アメリカの医療が日本よりも高いので質のいい治療を受けられると思ったため。

そしてもう1つは、ハワイで手術をしても日本の健康保健の海外医療費制度を使えば日本で手術を受けた時とほぼ変わらないお値段で手術を受けられるということがわかったからでした。

日本で手術を受ける場合、手術費と日本への航空代がかかってしまうため余計にお金がかかるのです。

以上のことから、ハワイで手術を受ける方がわたしたちの懐にも優しいということでハワイでの手術を決心します。

 

ところでこの手術は妊娠12週目が過ぎてから行わなければいけないと言われていました。

赤ちゃんがちゃんと育って、安定してきたときでないと手術はできないとのことだったのです。

なので、嚢胞が見つかってから1ヶ月半ほど手術までの期間は普通に学校に行こうと思っていました。

しかし、つわりでほとんど毎日吐く日々を過ごし、授業もほぼ休む日々……

これはこの学期は休んだ方がいいかもしれないと思っていましたが、この考えが確信に変わる出来事が起こりました。

 

それが起こったのはちょうど嚢胞があると診断をもらってから1週間ほど経った学校も始まって1、2週間の頃。

ある朝、突然今まで感じたこともない痛みをお腹に感じました。

その痛みは横になってもほとんど和らぐことがなく、トイレに歩いていくのでさえやっと。

いつもなら5秒もかからずに行ける距離のトイレにさえ、その時は起きあがるのに2、3分、それから休憩に2、3分ほどとってなんとか気合を入れて歩いてトイレに行くのに1分と、いつもの何倍もの時間をかけて移動していました。

ちょっと歩いただけでも激痛、そしてどっと疲れが出るので、いつもは歩いて10分ほどしかないクラスルームまでの距離をその日は授業のために30分かけて歩いて行くことに。

やっとの思いでクラスルームの椅子に座るも、痛みは全く引く様子がなく授業の話も全く耳に入らない始末。

これは、ダメだ……

授業が終わってもまた家まで歩かなければいけないのに、立ち上がるのにも渾身の力がいる。

そして、帰りの道もまた30分かけて歩いていく。

夜も寝ようにもお腹が痛すぎて全然眠れない。

あまりの痛さに唸りながら横になるなんて、わたしの人生の中でも初めての経験でした。

これは、おかしい。

夫とこの異常な痛みについて協議した結果、

これはきっとつわりの症状だろう

という結論に至ります。

…のちにこれが大きな勘違いなのだと気づくことになろうとは思いもしない2人でした。

 

勉強熱心な夫に休学しようかと思っていることを話すのはわたしにとっては結構気が引けることでした。

こんなことで休むって言ったら失望されるかな…

と思っていたのでなかなか勇気が出ず…

それに加えてわたしにはどうしてもこの学期を休みたくない重要な理由もありました。

 

つづく…

ハワイで出産!と、思いきやまさかの手術!?①

ハワイの大学で夫と出会い、ほどなく結婚。

そして結婚して何ヶ月かたったある日、友達に誘われて大学のカフェテリアで一緒に夜ごはんの食事をすることになりました。

 

やった〜、夜ごはん作る手間が省ける〜!

なんて喜んでいたんですが、カフェテリアでごはんを食べていると異変が…

なぜだかどんどん気持ちが悪くなっていったのです。

これはおかしいぞ?と思い、早めに家へ帰ろうと夫と歩きはじめましたが、歩くたびに気持ち悪くなっていって10歩ほど歩いて休憩を挟まなければ歩けないくらいにまで気持ち悪くなって行きました。

このとき住んでいた家は大学の夫婦用アパートメントだったので、カフェテリアからは歩いて10分弱の距離だったんですが、その日は休み休み帰ったためその距離を30分近くかけて帰りました。

 

家に着いてからもずっと横になっていましたが、だんだん吐き気がしてきて結局その一晩中吐き続けることに。

その様子を見てさすがにおかしいと思った夫が「ER(Emergency Room: アメリカの救急救命室)行こう!」と、車を持っている友達に連絡して連れて行ってもらいました。

処置室でもゲーゲー吐きまくるわたし。

そして検査をしてくれたお医者さんから

 

「妊娠ですね」

 

の一言。

 

え???

 

それだけ????

 

え、じゃあこれつわり????

 

大事はなかったので安心はしたものの、このあと送られてくるERの請求書が怖くなるわたしと夫でした。(アメリカの医療費は本当に高くて、この夜のER代1回分で10万円ほどの請求がきました😭学校の医療保険のおかげで実際に払った代金はこの半分以下になったので本当に良かった…!!)

 

結局、妊娠がわかっただけで帰ってきましたが、そのあとは学校のヘルスセンター(小さな診療所)での検診が始まりました。

わたしの通っていた大学のヘルスセンターには、毎週水曜日に産婦人科の先生が出張しにきてくれていたので検診はとっても楽!

産婦人科の先生は若い元気な女の先生で、緊張もすぐほぐれました。

初めての検診でエコーをとって「これがちっちゃいけど赤ちゃんだよ」と先生が教えてくれて、その小ささに正直少し驚きながらも感動していたとき、先生が「ん?」というような反応を見せました。

そしてある一点をぐりぐりと確認する先生。

なにかなーと思っていると、先生が写真を撮って、

「嚢胞があるね」

と、さらっといいました。

この時先生が言った「Cyst(嚢胞)」という単語がわたしも付き添いでいた夫もわからず、しかも本当にさらっと、なんか「今日も赤ちゃん元気だね」みたいな感覚で言われたので、よく分かんないけどそうなんだーと聞き流していました、が。

「ちょっとここでは詳しく検査できないから、ホノルルの方にある大きい病院に行って検査してもらってね」

と、先生に病院の紹介状をもらい、この時点でわたしたちも「これはもしかしたら思ってるよりも大事かもしれない…?」と思い始めます。

 

後日、ホノルルの紹介された病院に行って検査をしました。

もうその病院はハワイで一番大きな病院で、普段学校の小さな診療所しか見ていないわたしたちにとっては迷路のような大きさ!

病棟がいくつかあって、駐車場もいくつもあったので迷いながら目的の産婦人科に到着しました。

検査はいつもの検診と同じようにエコー。

ただ、この検査では詳しく嚢胞を調べるためにいろいろな角度からエコーを見られたため、エコーだけで1時間ほどかかりました。

この時は流石に「Cyst」の言葉の意味も分かっていたのでちょっと緊張していましたが、検査が終わってついに結果が。

結局、嚢胞だということが判明。

しかも、小さいならまだ良かったものの、わたしの嚢胞は10㎝以上のグレープフルーツ大の大きさだというので、子供が生まれる前に開腹手術で嚢胞を摘出しなければならないと言われました。

自分の人生の中でまさか手術を、しかももしかしたらハワイで受けるかもしれないなんて思いもしない結果でした。

 

つづく…

息子が2歳になりました!

息子が2歳になりました!!!

 

 

 

早い〜!

もう2歳〜!

本当に時が過ぎるのは早いものです。

 

誕生日の前には家族で息子が生まれた時からの写真を見てほっこりしていました。

生まれる前は頑張って毎月写真を撮ろう!と思っていましたが、産んだのが学生の時というのもあり…

毎月撮ることはかないませんでしたが、節目節目にはとっていたおかげで並べてみてみると息子の成長がよくわかりました。

写真を見ながらまたいろいろなことを思い出してしみじみしたり。

 

息子が生まれた日はわたしの大学内でのコンクールがあり朝から緊張していましたが、まさかの破水。

そのまま病院に直行しその夜に息子は生まれました。

予定日より1ヶ月早い出産だったため息子の体重は低体重のラインぎりぎりでしたが、その後もすくすくと元気に育ってくれて親としても嬉しい限りです。

出産体験談はもう少し詳しくいつか記事にしたいなあ。

 

生まれたときはあんなにちいちゃかった息子も、今ではちょろちょろと動き回るようになりました。

最近はよく、床にゴミが落ちていたら拾って捨てようとしてくれます。

まだまだ言葉は話せないけど、それでも話せないなりにわたしや夫の服の裾をひっぱって行きたいところに連れて行ったり、ジェスチャーで教えてくれたりと自分でできる方法で意思の疎通をしてくれます。

そんなにできるなら、これから言葉を覚えたらきっともっと楽しいだろうなあ…

 

来年はどんな成長を見せてくれるのか。

もう今から楽しみです☺️